| 旧石器時代 |
野岳遺跡(1万年以上前の細石器が発見される) |
| 弥生時代 |
富の原遺跡(県内最大級の集落)
※全国でも珍しい武器である鉄戈・鉄剣が4本も出土した。 |
古
墳
時
代 |
5世紀初め |
黄金山古墳(初期横穴式石室の貴重な1例) |
| 6世紀 |
小路口鬼の穴古墳(大村平野で現存する最大の古墳) |
| 7世紀 |
玖島崎古墳(古墳時代終末期) |
仏
教
時
代 |
奈良時代 |
(延命寺建立行基により開かれる)
この寺を中心に「郡七山十坊」が作られ、仏教が盛んになる。
※1574年キリシタンにより壊され、現在は跡地が残っております。(松原3丁目) |
| |
941年(天慶4年) |
天慶の乱
この戦により討たれた藤原純友の孫(藤原直純・・・後の大村直純)が伊予の
山中に逃げ延びる。 |
初
代
直
純 |
994年(正暦5年) |
藤原直純が久原城に入り大村氏を名乗る。広さは約4.960uあり、現在は跡地
が残っています。(玖島1丁目) |
十
六
代
純
伊 |
1474年(正暦5年) |
刀鍛冶 並衡行泰の子孫が八幡神社で刀を鍛え、鎌作りを伝える。
松原鎌の始まり。 |
| 1474年(正暦5年) |
16代純伊は中岳合戦に敗れ、玄海の孤島”加々良島”に落ちのびる。 |
| 1480年(文明12年) |
旧領を奪還する。
領民達が踊りを踊り、ご馳走をして喜んだ。
大村寿司・黒丸踊り・寿古踊り・沖田踊りの始まり。 |
十
八
代
純
忠 |
1562年(永禄5年) |
横瀬浦開発→南蛮貿易の開始 |
| 1563年(永禄6年) |
洗礼を受け、日本初のキリシタン大名となる。
(領内のキリシタンの数は6万人に達する。) |
| 1564年(永禄7年) |
三城城を築く。 |
| 1570年(元亀元年) |
大村純忠とイエズス会の間で、この年長崎を南蛮貿易港にする協定が結ばれる |
| 1574年(天正2年) |
キリシタン領民領内の寺社を焼き討ち(当時、郡七山十坊と呼ばれた寺院が繁栄) |
| 1582年(天正10年) |
少年使節団をローマへ派遣する(天正遣欧少年使節団) |
| 1587年(天正15年) |
純忠没 |
十
九
代
喜
前 |
1599年(慶長4年) |
初代大村藩主となる
玖島城を築く
三方を海に囲まれた要害の地玖島を選んで築いた。城壁には堀をめぐらし一軒平凡そうに見えても難攻不落の名城であった。
大改修の際には築城の名人加藤清正に指導を仰いだと言われている。
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| 1605年(慶長10年) |
本経寺建立→キリシタン宣教師追放 |
| 1613年(慶長18年) |
全国に禁教令
日蓮宗に改宗(キリシタン禁令が発令されたため) |
二
十
二
代
純
長
|
1652年(承応元年) |
円融寺創建
養子であった純長は、22代目を相続する際に跡目争いをすることにとなった。
しかし、将軍家光の裁可により相続が許された。
この恩義に報いる為に徳川家の位牌を祭り円融寺が建てられた。
現在は護国神社となり、境内億の斜面には庭園が残されている。(玖島2丁目) |
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1673年(延宝元年) |
鯨猟が始まる。
鯨猟により巨万の富を得た深澤義太夫は、野岳湖を築いたり、その他多くの堤のため寄贈した。 |
| 1897年(明治30年) |
海軍歩兵隊駐屯 |
| 1923年(大正12年) |
海軍航空隊の設置
軍都として栄える
※現在は陸上自衛隊大村駐屯地・竹松駐屯地/海上自衛隊 大村航空隊が基地を構えている。 |
| 1941年(昭和16年) |
第21海軍航空廠の設置 |
| 1942年(昭和17年) |
1町5村が合併し全国188番目の市制を施行。 |
| 1952年(昭和27年) |
日本最初の競艇場開設 |
| 1975年(昭和50年) |
世界初の海上空港開港 |
| 1979年(昭和54年) |
長崎=上海間に定期航空路開設 |
| 1982年(昭和57年) |
長崎大水害(死者299人を出す大災害となった。) |
| 1990年(平成2年) |
大村公園『全国さくら名所100選」に入選 |
| 1991年(平成3年) |
雲仙普賢岳で大火砕流発生。死者不明者43人を出し、民家を焼く。 |
| 1999年(平成11年) |
国道444号線(平谷・黒木トンネル)開通 |