| 西暦 | 和暦 | 満年齢 | ||
| 1835年 | 天保6年 | 肥前国大村藩玖島郷に生まれる | ||
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五教館(長崎県立大村高等学校の前身)で学ぶ 小さいときから英才といわれ近隣の人からも、その前途を高く評価されていた。 |
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| 1861年 | 文久元年 | 25歳 | 大村藩 勤皇三十七士同盟の結成 長岡治三郎(長岡半太郎の父)、松林飯山(五教館教頭)、渡辺昇(のち大阪府知事)らと共に、他藩に負けず、勤皇の旗を揚げたいと誓い同志を募った。 |
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| 1868年 | 明治元年 | 32歳 | 鳥羽・伏見戦争に参戦、輝かしい戦功をたてる ↓功績が認められ 長崎裁判所権判事・九州鎮撫使参謀助役を兼任 ↓ 長崎府判事・外務権大丞となる |
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| 1872年 | 明治5年 | 36歳 | 新潟県令(現在の県知事)となる | |
| 1873年 | 明治6年 | 37歳 | 第四国立銀行の設立 当時の新潟は、長崎、函館、横浜、神戸につぐ全国5番目の開校譲渡して中 央政府から重視されていた。そのこともあり正隆は有力地主を説得し、銀行 の設立に尽力した。 白山公園の開設 江戸時代以来の景勝地であった白山神社境内に公園の造成を始める (日本で最初に開設された公園のひとつ・・・その他に上野公園・厳島公園等) |
◎第四国立銀行 明治5年に制定された国立 銀行条例(日本最古の銀 行法令)に基づき、主要都 市に4つの銀行が設立され た。4番目に設立の許可を 受けたことから「第四国立 銀行」という。現存する銀行 では日本でもっとも歴史の 長い銀行。 |
| 1874年 | 明治7年 | 38歳 | 川汽船会社の設立 | ◎川汽船会社 信濃川の通船が和船だけ では、交通上不便というこ とから、新潟の有力者に働 きかけ設立された。長岡・ 新潟間に川蒸気船が運行 されるようになった。 |
| 1877年 | 明治10年 | 41歳 | 東京府知事となる 学習院の開校を認可(現在東京にある学習院の前身) |
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| 1879年 | 明治12年 | 43歳 | 元老院議官・・・その後副議長となる |
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| 1890年 | 明治23年 | 54歳 | 第1回衆議院総選挙で、衆議院議員に当選 (以後当選4回) |
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| 1893年 | 明治26年 | 57歳 | 衆議院議長に就任(星亨の跡を継ぎ) |
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| 1896年 | 明治29年 | 60歳 | 男爵を授けられる |
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| 1902年 | 明治35年 | 65歳 | 死去 |
大村市玖島2丁目には、市の文化財として指定されている、旧楠本正隆屋敷が残っている。 明治3年に建てられた寄棟造り、桟瓦葺き、 平家建ての彼の屋敷は旧大村藩主内に残る武家屋敷としては最も整った形で残っていた物である。現在では、屋敷と庭園が修復され 一般に公開されている。 新潟市の白山公園には、公園を創設したとして「楠本正隆の像」が建っている。 |
※郷土の先覚者たち ー長崎県人物伝ーより抜粋