荒木 十畝

(あらきじっぽ)

  

    花鳥画を得意とする

     近代の日本画壇を率いた人物

 

西暦 和暦 満年齢    
1872年 明治5年  

長崎県大村に小学校教員であった朝長兵蔵の2男として生まれる

 (名は梯二郎)

 

中学の頃から画家を志す

 
1892年 明治25年 20歳

上京し、荒木寛畝に師事する

◎荒木寛畝(あらきかんぽ)

 江戸・芝の出身。9歳で画

 の道に入門し、26歳の時に

 土佐藩の絵師となる。

 1887年設立の日本美術協

 会の重鎮として活躍。代表

 作に「孔雀図」などがある。

1893年 明治26年 21歳

寛畝の娘と結婚し、養子となり、十畝と改号

 

1895年 明治28年 23歳

日本美術協会・日本青年、絵画協会入会

 
1897年 明治30年 25歳

野村文挙らと中庸派で日本画会を結成

  

◎日本画会

  日本絵画協会が新派の牙

 城になったことに対抗し旧

 日本青年、絵画協会所属

 の26名で結成。 1923年、

 革新日本画会として新発足 する。

1899年 明治32年 27歳

全国絵画共進会に「蘆鴨図」が3等銅牌

 
1900年 明治33年 28歳 読画会を運営

◎読画会

  花鳥画の大家荒木寛畝が

 私塾・読画堂塾を基盤とし

 門弟を主体として結成。

 帝展期には、十畝門下と池

 上秀畝門下の150名を抱え

 、東京画壇では一大勢力と

 なる。

1903年 明治36年 31歳

東京女子高等師範学校教授

◎東京女子高等師範学校

 現在のお茶の水女子大。

 1890年に創立される。

1910年 明治43年 38歳 日英大博覧会に「初夏」出品。金賞を受賞。

 

1922年 大正11年 50歳

日華連合絵画展主催

 

1924年 大正13年 52歳

帝国美術院会員(1936年には帝国芸術院会員)

 

 
1931年 昭和6年 59歳

インド仏蹟を巡歴する

 

 

1942年 明治17年 70歳 「東洋画論」を著す

 

1944年 昭和19年 72歳 死去

 

 

十畝の代表作には、帝展に出品した「黄昏」、また、東洋絵画の伝統に新しい作風を取り入れた「秋夕」「鶴」「玄明」など

独自性に富んだ作品を多く残している。

十畝が、生まれ、育った場所は現在上久原武家屋敷の中に生家跡として残されている。